Binding colours|色を綴じる

色を綴じる ーー「 Stay Beyond (the boundary) 」に寄せて

私が初めてわにぶちみきの絵を見たのは、一年とすこし前だったとおもう。季節は秋で、そのうえ紅葉が有名な大阪・箕面での展示だったから、彼女の絵は余計静かに見えた。秋なかばの透明な日差しや、すこし染まりはじめた木々の色づき、あるいは観光地特有のにぎわい、そういった状況に囲まれながら、空間にかけられた数点の白い絵は不思議とその場所に調和していた。

わにぶちみきの絵は、一目見ただけでは単なる白にしか映らないかもしれない。絵であるにも関わらずほとんど真っ白だなんて、まるで謎かけのように感じる人もいるだろうか。広告や写真、イラストや看板が常にそうであるように、あたかも目に入るものすべてが(即時に伝達できるような)意味を担っているはずだと、私たちは知らないあいだに思い込んでいるのだ。もちろん、別にそれはわるいことじゃない。ただ、”みる”という行為が本来もっている難しさを、彼女の絵は静かにそっと教えてくれる。

私たちがある風景をだれかに伝達しようとするとき、その方法はいくつかあるだろう。まず一番身近な技術として、やはり写真が思い浮かぶ。写実的に描かれた風景画もそのひとつだし、あるいは言葉を尽くすことでも伝達はできるかもしれない。わにぶちみきの描く絵は、そういった他の技術によって伝達可能な風景の再現を目的としていない。彼女の絵は、あくまである風景に対する表現であるということ。その風景がたしかに持っていた色を抽出し、それらを積層的に塗り重ねながら最後には白く封印するという方法で、彼女は風景を描いている。彼女の作る画面は、写実的で克明に描画された風景画とまったく異なった印象を与えるが、風景を画布のうえで絵具によって翻訳するという部分において差異はない。それでいて彼女の白い絵は、意味の応答を常に強要され無意識に緊張した視覚をあそばせてくれるだろう。そして、そのうえで行われる注意深い鑑賞を、私たちに誘惑してくるのだ。

作品のきわで見て取れる幾層にも塗り重ねられた鮮やかな色は、いつか彼女の目の前にあったものだ。たしかに存在したたくさんの色が、そっと掛けられた一枚の白によって絵の内部に同居している。そしてそれはまた同時に、絵が描かれる過程で流れた時間と、彼女が風景と出会っていた絵以前の時間とが、この白によって結晶化するようでもある。輝きが排除され物質的な手触りをもつ表面は、そういった絵の内部をより強く意識させ、またそれらは私たちの前で一挙に現前化する。いつか見た風景の色をひとつずつひろい上げ、それらをそっと綴じるようにして塗られる白。言葉の端々に感情が浮かぶ会話のように、彼女の絵の端々にはみる人に向けたたくさんの余地がにじんでいる。だからこそ、彼女の白い絵はその一見した際の印象とは裏腹に、鑑賞者に対し閉じたふるまいを感じさせない。

“ヴィジョンを進化させ続けることが作家の仕事である。その持続的な探求の断片として絵があるのだ。”(ブライス・マーデン)

世界を把握するためのひとつの方法として、彼女は目の前にあった色をひとつずつ絵のなかに綴じてみせる。その軽やかな発想の転換こそまさに、画家にしかできない芸当だ。建築物のほとんどが石工であった西洋において、絵とは石壁に穿たれた窓でもあった。彼女のこのあたらしい風景画が、人の行き交う地下道でだれかの視覚を穿ちますように。

野口卓海(美術批評家/詩人)