“YAMAGEI” Hyogo Mine and Road Art Festival
Gym at the former Mikobata Junior School
Asago-city, Hyogo Pref.
“鉱山(ヤマ)と道の芸術祭”
旧神子畑小学校 体育館跡
兵庫県朝来市
「鉱山と道の芸術祭」に参加するにあたり 神子畑選鉱場跡と旧神子畑小学校を実際に訪れたとき、一日中響きわたったであろう石の音や機械の音、子どもたちの声や人々のエネルギーが、時間をこえて、わたしの耳を震わせるようだった。
わたしはこれまで自己と他者の相違を理解しあうポイント(=接点)を境界線と定義して、現代の風景画という側面から作品を制作してきました。その境界線 ― おもに白い画面として描かれる ― の向こう側には、いつも、わたし個人の見た景色を想定していました。
でも今回は、わたしも見たことのない景色を想像してみたいと思う。
この静けさに包まれた廃校と選鉱場跡をまえにしたとき、当時のにぎやかさやエネルギーを、ここをはじめて訪れる人や作品を観る人たちにも感じ想像してもらいたい。そのために、わたしや観賞者の立つ「いま」と、ここが栄えた「むかし」のあいだに境界線を置こうと思う。
ときは昭和30年代。本校より子どもの数が多かった神子畑分校では、やれガラスが割れた、やれ何かが壊れた、となれば選鉱場の大人たちが率先して修繕に来たと言う。おしゃれにベストなどを着こなし、工場で開かれるクリスマス会に参加するなどしていたことを聞いた。当時、ここに通う子どもたちは、どんなことを感じ、考え、生きていたのだろう。小学校校舎の窓を境界線として、卒業記念の石碑に刻まれた絵をヒントに、この街の「むかし」に思いをめぐらすトリガーとしての作品とする。「いま」のわたしたちの目にはここがどう映り、耳にはどう響くだろう。「むかし」と「いま」を結び、この街とひとを結ぶ作品となればいい。