わたしの制作の原点

わたしの制作の原点には、時間とともに失われるものの儚さとそれに対するある種の怖さというものがあったように思います。「おとうとの可愛らしさが失われるのがこわい。どうしよう。そうだ絵に描いておこう」と思ったのは弱冠7歳のときでした。6歳半下に生まれた弟は、それはそれは可愛くて、パンをちぎりながらもぐもぐと口へ運ぶさまは今でも思い出せます。この可愛らしい瞬間はこの時しかなく、歳をとるにつれて失われていくものだという恐怖にも似た切実な想いがありました。

 「どうしよう。どうしよう。」

絵で描いておけば残せるのではないだろうか。
カメラを持っていなかったわたしは、いちばん身近な、けれど100%じぶんの力でなんとかできる方法を思いつきます。ノートの罫線やキャラクターの模様など気にもなりません。ただただ “パンを食べる弟” を「残す」ために彼を一生懸命観察して鉛筆で描きました。当の弟はそんな姉の気持ちを知る由もありません。夢中で食べる弟、それを必死に追うわたし。もぐもぐする口元と鼻の形がむずかしくて、思い通りの線を描いてはくれないじぶんの右手の指を恨めしくも思いました。

27歳の弟と絵の中の彼

“つくること” “描くこと” に関しては、父方の祖父がおしえてくれたように思います。可動式の小さな本棚を作るのを手伝ってくれたり、ノコギリの使い方を教わったのも祖父からでした。物心ついたときには姉弟3人それぞれにスケッチブックを与えられ、身のまわりにある自然や植物、旅行先の風景などを描きました。

小学校の卒業式にもらったカーネーションを花瓶に入れたとき、これが枯れていくのが切ないと感じたことも覚えています。あかるい昼下がりに涙が出ました。やっぱり、それも描くことにしたのです。美しいもの、大切なもののいちばんピークの瞬間を刻めるもの。“今” を刻み、留めるものとして、“描くこと” をわたしは最高に信頼していました。

前述の弟の絵を描いたノートの1ページを、のちのちフレーミングしてずっと壁に掛けてくれていたのも祖父です。黄ばんだノートは今でもフレームのなかに時間を留めています。

I am a returnee from the UK.

わにぶちみきは英国からの帰国子女です。

わたしが初めて渡英したのは14歳のころでした。父の仕事の都合で家族いっしょに3年という期間限定で英国に滞在します。進学の都合もあり2年と少しで単身帰国しますが、この英国滞在期間でわたしは日本の美術教育では得られなかった、わたしの芯をかたち作る大切な経験をします。

現地校での「ART」の授業、厳密には選択していた「Textiles」(織物)の授業でのお話です。
※中学生でしたが、必須教科以外の授業のコマは大学生のように選択制でした。「Art(美術)」と「Textiles(織物)」と「Music(音楽)」、「Keyboard(パソコンのキーボード・時代を感じます)」「Sports(体育)」「Japanese(日本語・笑)」なんかを選択していました。

その日からは「ネイティブ・アメリカン」、日本語で言うところの“インディアン”(アメリカの原住民でインド人ではない)をテーマにした作品をつくるターンに入りました。最初の2時間はネイティブ・アメリカンの生活や歴史、伝統的な衣装、現在の暮らしなどをまとめたビデオを皆んなで観ることから始まります。「Textiles(織物)」の授業なので、生活のなかの伝統的な衣装やタペストリー、絨毯などにクローズアップはされるのですが、侵略や迫害の歴史もふくめた背景を知ることから始まったのには子ども心にとても驚きました。まるで社会科の授業のようだったからです。

そのあと、「ビデオを観てどう思った?」などの簡単なディスカッションをして制作につづいていきます。侵略について感想を言う子もいれば、馬に乗ったインディアンがカッコイイ、あのスカートみたいなのの模様が好きだった、なんでも発言は許されるんですよ。

そして、制作準備。「織物をしたい人は、こんな材料があって、こんなことができます」「染めたい人は、これとこれの方法があって、布は絹とか綿とか、この中から探してね」と少しだけやって見せてくれます。大きさや材料は好き好き、ここに無いものはお父さんお母さんに買ってもらってね(ここにあるものは無料ですよ)と、制限されることがない。

そして、重要なこととして、“ストーリーボード”と呼ばれる“その作品をつくろうとおもった思考の設計図”のようなものを作らせること。印象に残った映像をスケッチしたり、模様を何パターンも集めて描いてみたり。当時、英語はほとんどできなかったので多少の誤解はあるかもしれませんが、何をさせているのか、何をすべきなのか、は、洋々として広がるわくわくとともに非言語としてわたしの中に染み込んできたのでした。

「かたちづくるもの」

 イギリス滞在が一年を過ぎた頃、毎週土曜日は私の唯一の楽しみになっていた。父親の運転で姉弟三人、一家総勢五人は補習校へと向かう。思い通りにコミュニケーションが取れない現地校でのまいにち、宿題にかかる時間の長さ、そんなことから一瞬逃げられる一日だったからだ。

 帰国して十三年、イギリスでの辛い思い出なんて実は、ない。あんなに帰りたいと思った日本で私は、あの頃のあの場所をくり返しくり返しやわらかい光のなかに思い出すのである。広々とした庭、緑に囲まれた風景に飛び跳ねる灰色リス、落ち着いた時間の流れ。日本の寒く冷たい冬の雨やオレンジ色の朝靄のなかにさえ、あの国の匂いを思い出すのです。懐かしい。それだけでは収まらない気持ちがある。あの頃は、心の範囲が今より遥かに広かった。思い返せば、なんて自由に詩を書き、絵を描き、音楽を聴き、歌っていたことだろう。滞在した二年と少しは、ほんのわずかな日々だったけれど、私の芯を形作る大切な月日だった。

 イギリスでの経験は、今の私の創作活動に大きな影響を与えていると思う。世界は広いということ、まだ自分の知らない色があるということを知った。無性にあの国に帰りたいと今になって思い、私は留学という形でイギリスに帰ることを決めた。新しい引き出しをいっぱいにするために、新しい人と出会うために。あの独創的で柔軟な国は、きっと私をまた大きくしてくれると信じている。

(一九九五年〜一九九七年在学 日本在住)

わにぶちみき寄稿 日本人補習校 創立20周年記念誌 平成23(2011)年 6月発行